リーディング 子供

リーディングNO.1594 2歳 女の子  退行性発達障害・癲癇様発作・脳障害

[リーディングNO.1594]の病歴

2歳の女の子     退行性発達障害・癲癇様発作・脳障害

1936年7月7日、バージニア州バージニアビーチに生まれる。(内科医のコラ・コーペニングが担当する。)
[1594]が生後6ヶ月の頃、まだ座ることができませんでした。このくらいの月数の子供はたいていできるのですが。コラ医師は発達が少しゆっくりしているだけで、特に悪いところはないと考えていたようです。 もう少ししたところで、小児科の専門医に診てもらうと良いと考えておられたようで、なんらかのサポータが必要になるかもしれないということでした。ウイルコック医師に診てもらうようアドバイスをいただきました。

 その後、何度がバージニアビーチのウォルター・テイラー医師に彼女を連れて行きました。 彼女が生後13ヶ月になった8月に、テイラー医師はまったく率直に、[1594]に対しては自分が役に立てそうにないとおっしゃいました。そして、ノーフォークの小児科専門医であるミュレン医師に連れて行くように勧めてくださいました。
 私たちは娘をミュレン医師の所に3回連れて行きましたが、先生はデューク病院か、バルチモアにあるジョンズ・ホプキンス病院を紹介されました。
ノーフォークの別の小児科専門医であるウィルソン医師も娘を診てくれました。 ウィルソン医師は、娘の発達が少し遅れていると言われました。神経系が完全には発達していないということでした。ウィルソン医師は、デューク病院の部長であるデビッドソン医師への紹介状を書いてくださいました。

 9月中旬、娘が14ヶ月の時に、私たちは娘をデューク病院に連れて行きました。 娘はそこで4日間過ごしました。 医者達は娘をいろいろ検査しました。 脳や他の部位のエックス線写真を撮ったり、背骨をトントン叩いたりしました。そして、3才頃には大丈夫になると言いました。娘はちょっと遅れているだけだということでした。 その頃、娘はまだ一人で座ることができませんでした。 医者達は娘の悪いところが見つけられず、他の幼児と同じくらいノーマルでした。 血液検査やその他のものもそうでした。 ただ精神的に遅れていたのです。
 病院では、1週間に4分の2グレインの甲状腺タブレットを与えることを勧められました。テイラー医師にその効果と、彼が何をすべきかについて指示を与える手紙をくれました。これによって娘は成長し発達するだろうと言われました。

 それから約6週間して、[1594]ははいはいを始めました。 昨年の12月、生後17ヶ月で、娘は気管支肺炎になりました。 その頃、娘はつかまり立ちができるようになり、椅子の周りを歩くようになっていました。 肺炎は約1週間続きましたが、肺炎は完全に治ったようでした。 テイラー医師は肺炎の治療をしてくれました。
 それから約2週間後、娘は退行し始めたようでした。以前のようなバイタリティーや「生き生きした様子」が娘からなくなっていました。 2月1日の晩、6時頃でしたが、(母である)私が夕食を作っている時に、(彼女の姉になる)[...]が娘を乳母車に入れて台所の周りを回っていました。
 突然、私は[1594]の顔がまったく無表情になっていることに気づきました。娘は何も見ていないか、気づいていませんでした。まるで意識を失っているかのようでした。 私たちはすぐさま娘をノーフォークのセント・ビンセント病院に連れて行きました。 病院では、彼女が引き付けを起こし始めたために、落ち着かせるために、すぐに皮下注射を行いました。しかし、注射はまったく効きませんでした。
 翌朝、医師達は娘にエーテルを与えました。娘は24時間その状態に置かれました。 背骨を3回か4回、叩いて調べました。 娘はその病院に5週間いました。その間、次々に引き付けの発作が起きました。 昼夜を問わず世話が必要でした。常に麻薬を投与されました。
 体温は何度も華氏107度(摂氏41.7度)まで上がりました。その状態が一度は2時間続きました。 医者達は体温を下げるために娘をアルコールに浸け、頭には氷嚢を当てていました。 5週間が過ぎたところで、引き付けの間隔があくようになりました。 娘はさらに6週間病院に入院し、結局全部で11週間入院しました。 引き付けの発作はその後、単発の痙攣になりました。 引き付けを起こすと、娘は体を考えられないような形によじりました。 背骨が後ろに曲がり、ついには頭が腰骨に付くくらいになりました。 私たちの力では腕や足を曲げることは出来ませんでした。
 発作が起きると、娘は自分のあらゆる髪の毛を引き抜きました。 医者達は5週間にわたり、娘にグルコースの注射を行いました。 その後で、医者達はカロ水(Karo water)を与えました。そして、3週間もの間、 医者達は彼女に医療用のスポイトでチョコレートミルクを一度に一滴ずつ与えました。
 3月の最後の日、医者達は娘にチョコレートミルクを与え始めました。 娘が病院に行った当初、医者達は腫瘍の証拠を見つけることができませんでしたが、腫瘍はあったはずだと考えました。
 4回目に背骨の検査をしたときに、彼らはその証拠を見つけました。 結局のところ、約13人の医者が娘を調べました。 彼らの中で主だった医者は、レッドウッド先生、ウィルコックス先生、ミュレン先生、ウィルソン先生、(それにバージニアビーチのテイラー先生)です。
 5週間後、ミュレン医師は「これは時間の問題だ」と言いました。 もし手術をすれば、すぐに死んでしまう。娘が治る見込みは、1万に1つあるかないかだということでした。 娘が生き長らえても、今よりよい状態にはならない、と。 その頃、娘の体重はわずか13ポンド(注:約6キロ)しかありませんでした。
 ミュレン先生は毎晩帰る時に「翌朝まで生きていられたら、それはもう奇跡だ」と言っていました。 11週間したところで、ミュレン医師は私たちに娘を家に連れて帰って良いと言われました。病院にいても状態は変わらないというのです。私たちにできることは、娘が楽にできるようにすることだけでした。この間、娘は家族の誰も認識することができませんでした。たとえ意識があるように見えるときもそうでした。 彼女は寝返りを打つことができませんでしたし、また、座ることも、手で何かを握ることもできませんでした。ボロ布のように、だらんとしているだけでした。
 (父である)私は[...]夫人から近くに住んでいるケイシーさんの話しを聞きました。 その人は、妹さんや従姉妹をケイシーさんに助けてもらったそうです。 私は、うちの娘のことを彼に頼むことにしました。
 [1594]を家に連れて帰ったのは5月の中旬頃です。そして、5月17日、ケイシーさんは最初のリーディングを取ってくれました。

両親

1回目のリーディング

あなたは現在のこの人の肉体状態について述べ、さらなる治癒のための指示を与えます。また質問されたなら、それらについて答えてください。
グラディス
ケイシー
ケイシー:よろしい、われわれはここに[1594]を捉えた。
ケイシー
さて、われわれの見るところ、状態はかなり深刻である。 現在の状態は、痙攣的(けいれん)な反応や昏睡からすれば、いくらか良い。
ケイシー
これらの状態を引き起こしている圧迫は、腹部――つまり、乳び管の周囲と空腸の上部、それにいくらか腫脹している肝臓の部位――の癒着から来ている。これらが、脳脊髄系に対する圧迫と共に、脳に向かう神経系の通路に沿って付着する蓄積物を引き起こしてきた。それ故に、圧迫が存在してきたところの、そして今なお存在するところの、運動領域に沿う運動を行うことができない。
ケイシー
われわれの見るところ、回復があるかどうかは、治癒をもたらすであろう諸々の事柄を、どれくらい辛抱強く一貫して行うかに依存するものであり、また、もちろん、この人がそれらの事柄にどれくらい反応するかに依存する。
ケイシー
というのも、その多くは、この肉体経験あるいは生命そのものが依存しているところの人々の、霊的姿勢に依存するからである。
ケイシー
われわれの見るところ、これらが取り組むべき状態である。まず、次のようにする。
ケイシー
毎日、上腹部から肝臓部位にかけて、厚めのヒマシ油パックを30分から1時間ほど行う。パックを行ったなら、毎日、背骨に沿ってマッサージを行う。 これは、脳の基底部から下に向けて行う。脳に向かって行ってはならない。 よろしいかな?
ケイシー
そのようなマッサージでは、ある日にはココアバターを使う。 これは穏やかに与える。強くてはならない。脊柱にすり込むように、そして背骨の両側の部位に対して、穏やかにマッサージする。 そして翌日は樟脳オイルを使用する。
ケイシー
もちろん、毎朝、穏やかに風呂につけるか、パックをしていた部位に付着しているオイルをお湯に浸したスポンジで拭き取る。 その際は薄い重曹溶液を使う。もちろん、溶液は温かくするが、これでやさしく拭き取る。
ケイシー
食事は、容易に同化吸収されるもので構成する必要がある。 現在指示されているものは非常に良いが、これらに――われわれの見るところ――純粋のビーフジュースを追加する。これは薄めたものにするが、食事の一環として与える。 ビーフジュースを作り、これを服用させる時には、少なくとも小さじ1杯の水(一度沸騰させた水だ! )をテーブルスプーン1杯のビーフジュースに加える。 これを、一度にごく少量ずつ、すするように与える。これを1日に数回与える。 テーブルスプーン1杯の(指示したような仕方で水で薄めた)ビーフジュースを1日で服用するが、一度にはごく少量をすするように与える。 これを他の食事と一緒に食べるのではない。
 これは、先ほど指摘した部位の病変あるいは癒着――および神経に沿って移動してきている蓄積物――によって生じている炎症を悪化させることなく、体力を与える。
ケイシー
もし、指示したマッサージを行うことで、脳内に腫瘍を作る傾向や、腫瘍としての蓄積物を減らすことができたなら、運動機能を回復させることができるかもしれない。 そして、これらが吸収されることで、発話能力や、手足の運動がもたらされ、この人により良い状態をもたらすことができるかもしれない。
ケイシー
マッサージは、先ほど指示したように、円を描くように与える――頭から遠ざかるように行い、頭に向かって行ってはならない!
 毎日、1回か2回、大腸つまり結腸がすっかり空になるようにする。
ケイシー
1日おき、または2日おきに浣腸を行う。 浣腸の溶液には、少なくとも小さじ半分の重曹を1クォートの水に入れる。 浣腸の頻度は、排泄を保つ仕方に応じる。世話を充分にする。
ケイシー
指示したこれらのことを、10日間、毎日行う――そうだ、2週間行うこと。 そうしたなら、われわれは次の指示を与える。
ケイシー
質問を受け付ける。
何か、緩下剤を使うべきですか?
グラディス
ケイシー
緩下剤を使用してもよい。 われわれの見るところ、フレッチャーのキャストリアといちじくシロップを等量組み合わせたものが良いだろう。
服用量と頻度はどれくらいですか?
グラディス
ケイシー
これは、排泄活動による。しかし、小さじに4分の1から2分の1くらいを――それぞれいちじくシロップとキャストリアを等量ずつ――混ぜる。
この状態の原因は何ですか?
グラディス
ケイシー
述べたように、乳び管および臍の導管(??)の周囲の癒着であり―― 出産直後の不注意きわまりない処置と、臍神経叢(??)に対する扱い方である。
この子はノーマルだったことがありますか?
グラディス
ケイシー
最初の2週間は、正常に近かった。 これらを実行せよ。そして、両親は次のように祈ることだ。 両親は、しばしばこの子と共に、精神と心を恵みと慈悲と真理と正義で満たし、 今回の人生におけるこの人の権利として、この人により良いものをもたらす水路となることを祈るのである。
ケイシー
今回はこれで終わる。

リーディングが終わった時点での備考

 生後22ヶ月。1歳まで何も悪いところは見られなかったが、その後、引きつけの発作を起こすようになった。多い時では1分半ごとに起き、それが3時間ぶっとおしで続いた。  3週間、昼夜に関係なく発作を起こす。 昨年夏には5週間デューク大学に連れて行く。 彼らは脊椎穿刺と全身のレントゲン検査を行ったが、神経系が完全には発達していないことと、脳に腫瘍があったが、その他の点ではまったくノーマルであった。
 一人で歩いたことはない。昨日、ノーフォークのセント・ビンセント病院から帰って来たばかりである。その病院には5週間から6週間入院し、15人ほどの小児科の専門医に診てもらった。担当医は毎晩、翌朝までもたないだろうと考えた。彼らは出来ることは何もないと言う。彼女は正常になることはないし、長くは生きられないだろうと言う。 彼らは病院で4回ほど脊椎穿刺を行ったが、3回目の穿刺では液体が何も出なかった。出産を担当した医師は、生後7日の時に(臍の?)包帯を取った。病気になってから、あるいは明らかに病気になってから、彼女の胃は膨張している。 生まれてからずっとひどい便秘である。

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